2021年3月11日木曜日

10年前の記憶

 

こんにちは。
ここ数年、この話題について書いていなかったなあと思うんだけど、10年だしやっぱり書いておきたい。
これは誰かに、というより、自分にです。


わたしの父の実家のある岩手県釜石市は、10年前の3月11日に、東日本大震災の影響で被災地となりました。
幸い、父の実家は山寄りにあるため、祖父母に直接的な被害はありませんでした。

停電などの影響で安否確認が1週間できなかったけど、県内に住む叔父がバイクで探しに行ってくれて、自宅で無事を確認することができました。
あの頃、おばあちゃんがバスに乗って街に食品の買い出しなどに行くのは、決まって毎週金曜日で、3月11日はまさにその金曜日でした。
もうすぐ近所に新しいスーパーが開店する予定だからと、奇跡的に、その日はおばあちゃんは買い物に出ず家にいたそうでした。
もしバスであの時間に買い出しに出ていたと思うと、、考えるだけでゾッとしてしまう思いです。


釜石の海(2019年に撮影したものです)
いつもはこんなに穏やかなのに


足を運ぶたびに、確実に東北が復興はしていることを感じます。
津波でさら地になって、雑草ボーボーになっていた街並みが、段々と補正されて、大型のモールが立って、可愛いカフェもできたりしていて、少しずつ復興を感じます。
(実際、大きなイオンモールができたときは市民みんなが感動したそう。復興していることを目で見て感じ取れて。)

でもまだまだだな~って思うこともあったり。
本当の意味での復興ってなんだろう。勿論環境整備から整っていくことが大切なんだけど、未だに仮設住宅住まいの人がいるのも事実だし、やむを得ず県外に出ざるを得なかった人もいるし、けど形に見えるものだけが復興かと言ったら、なかなかそうでもないと思ったり。



あの日のことを忘れたり、風化させるのがいちばん恐ろしいことなんだろうなとは感じています。
10年前のあの頃、特にまだ安否確認ができなかった1週間、こんなにメンタルが追いやられることってあるのかなと感じるくらい、地獄の日々を送っていました。
未だに津波の映像や、3月11日関連のテレビはあまり観られないし、確実にわたし達親族の心の傷にはなっています。
けどそれでも、東京で暮らしている日々は、あの日のことをホワッと忘れさせてくることがあります。
良くも悪くも、頭からすっぽりあのことについて抜け落ちてることがあって、あんな思いをしたのにこうなることが恐ろしくもなります。
(きっと人間が闇に落っこちないように、忘れるっていう機能はあるんだろうけど)


釜石大観音
観音様の中には、震災の日の記憶が絵で展示されてます



この10年はわたしにとって爆速でした。あの日も、まるでこの前のように感じます。
けど、まだ昨日のように感じて、怖い思いをしている方たちがいるのも事実で、色んな思いで10年を過ごしている人たちがそれぞれでいるんだろうなと思います。

離れた場所に住むわたしがせめてできることは、あの日のことを自分の中で絶対に風化させないこと。
忘れ去られることって、とっても寂しくて、虚しいことだと思う。
せめて東北に血縁があるわたしは、そうしていこうと思う。人には人の時間軸と思いがあるから周りに強制しなくても、自分だけは絶対に。


それでは今日はここでおしまい^^


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